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鉛筆を手に取ることによって、感じることがございます。私がこの道具を不断使いに用いるようになったのはほんの最近です。誰かに勧められたわけでもなく、使用するようになりました。しかしながら、きっかけは、図書館にあった本だと思います。絵について書かれた物でした。色をつける道具を使用せずに鉛筆のみで、立体的かつ鮮明な絵を描く方法が紹介されておりました。ためしに、紙と鉛筆で本の姿を写したところ、全くうまくいきませんでした。何度か繰り返すうちに、絵を描くことに疲れてしまい、向上心がなくなりました。こうなるといけません。取り組み方を間違えたのかもしれません。文章を書くことにつきましても同様な状態にならないよう気をつけたいと思っております。
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眠っている子供は雛鳥のようでかわいい。寝言を口にするにしても酒に酔った大人のような奇声を出すことはなく、口籠るように言葉を発する。赤子のときは泣き叫びもするが、脳が発達するにつれてだんだん閑(しずか)になる。体が大きくなるとともに寝言も大きくなり、大人になる頃には眠りながら叫ぶようになる。動物にとって睡眠は大切であり、いかなる生物も眠っている間に体内の様々な部分を休ませる。起きているときには意識が肉体を働かせようとする。ある程度は睡眠時間を減らすことができるし、生物には個体差があるのでほんの僅かしか眠らなくてよい人もいる。ところで、太陽があるから動物は活動することができる。太陽がなければ動物は地球上で生きていられない。また、太陽の光が届かない場所は影の世界である。人間が日中に活動し、夜に眠るのは健全なことで、日照時間に合わせて睡眠サイクルをコントロールしようとすれば、精神が回復する。丈夫な人は昼も夜も活動していて平気である。太陽の光をほとんど感じることができない環境でも健康を維持できる者もいる。反対に、同じ人間の姿をしていて五体満足な者でも太陽の光がない場所では生きる力を失ってしまうタイプもいる。間違いが起こるのは、同じ成をしているからといってすべての個体を同一視し、型にはめようとするからである。教育システムによってすべての児童が幼い頃から同じようなリズムで生活するわけだが、読み書きを履修する代償として、生きていくために不自然な考えを刷り込まれてしまう。人は皆平等につくられているとか、努力すれば大抵のことはできるようになるということを聞かされる。一方で理科の授業では、生物が遺伝子を持っていることや同じ種でも個体差が現れるのが自然だという話を聞かされる。実験までさせられる。といって、他人にやらされることは、後学すれば生きた知恵となりうるが、そのままにしておくと単なる思い出になってしまう。こうして相手にとって都合のよい知識ばかり集めていまった者は、社会に出たときひどい目に遭う。あるいは、誰もが苦労する。簡単なはずの生活が、海の物とも山の物ともわからない何かへ変化する。そして、1足す1が2であることがよくわからなくなり、善いことと悪いことの違いが以前にもましてわからなくなる。
ランドは太郎君に尋ねてみる。
じゃがいも1個と南瓜1個とを足すと、合わせていくつになりますか?
2個だよ。
ランドには、じゃがいも1個と南瓜1個とを足して、それらがどうして2個になるのかがよくわからない。じゃがいもは1個だし、南瓜は1個である。これ以上を論ずるのはナンセンスではないかと思ってしまうのだ。