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単純なものから重大なことを学びたいと思っております。鳥の鳴き声や道端に生えている草、影、砂粒と親しくなりたいとも思っております。生きていくためには、世の中にあるすべてを知る必要はありません。大切なことを少しだけ知っていれば十分なのではないかと考えてしまいます。大切なこととは、換言すると、常識とも云えるはずです。さて、私はこの常識を学びたいわけでございますが、最も確かな方法が自然を観察することかと思うわけです。たとえば、道端で小鳥の亡骸を見つけたとして、放って置けず、手に持ってみるとします。すると、ふんわりと、まるで毛マリのように軽いことがわかります。こうして、その時は何も思うことがなくても、あとになって、なるほど自分は体が重すぎるがゆえにこれからも空を自由に飛び回ることができないということに気付きます。当たり前のことですが、何となく物事がわかったような心持ちになります。貴重な体験からではなく、身近にある物事の中から大切なことに気付くことができるような生活をしたいと思っております。
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世間が便利になるにつれて、自分が権力の及ぶ範囲に対して、何もかもを要求してしまう。初めは占い付きのチョコレート菓子で満足していたのが、板チョコを求めるようになり、板チョコと一緒にポテトチップスを買うようになり、そのうちに、文句を言うようになる。「このチョコレートは不味いからダメ」「もっと分厚いポテトチップスがよい」。結構なことである。もともと食事は皆集まって頂くものであって、人間は言葉を話すことができるので、集まった者のうち誰かが口を開くことになる。目の前にあるのは食べ物なので、食について語られるのは自然なことだ。美味しいという単語を知っていれば、おいしいものを食べている時にこの言葉が発せられるのは普通である。しかしながら、好物であっても馴れてしまえばどんな物でも大して有難いとは感じなくなる。欲によって、ありえない味を想像するようになり、チョコレートを食べて、「こんなものはチョコレートではない」と語るようになる。同様にして、以前はどうしても手に入れたかったダイヤモンドでも、一度所有すると、「これは品質が悪い」とか「サイズが小さい」などと言うようになる。品物の価値についてあれこれ考えるようになる。場を和ませるような会話ならまだ善かれ、情けを書いた話題は共感しにくく、聞く者を困惑させることが多い。
ランドはだんだん腹が立ってくる。小学生くらいのちびっ子に高級時計をおねだりされたのだ。そして、悪魔と比較された上、サンタクロースにはできないわけ? と蔑まれたのである。
奈々ちゃんね、チョコレートが塗ってあるポテトチップスでも食べたいっていうなら、特別に注文してでも持ってきてあげるよ。ロレックスは厭だよ、サンタクロースさんは。
今年はプレゼントなし?
なしだよ。来年から、もう来ないよ。
どうして!
だって、信じてないでしょう、サンタクロースの存在を。
信じてる。
信じてない。
私をひとりにしないで。
でも会社休んで家にいるような男は嫌なんでしょう?
それとこれとは別なのよ。
じゃ、ロレックスすら手に入れることが出来ない男でもいいっていうの?
絶対いや。
来年からは来れないよ。
どうして!
同じことを2度も言わせないで。
私のこときらい?
奈々ちゃんのことはきらいじゃないけど、クリスマスプレゼントや誕生日にいちいち高価な品物を買ってあげなきゃ満足しないような女の子とはお付き合いしたくないよ。