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「そういえば、この前、兎が月で餅突きをしていたよ」「ああ、そういえばそうだったわね。来るついでに兎を見かけたから、声をかけて、貰ってきたよ。あなたの分もあるからね」
母はつい最近手に入れたばかりの小物入れを胴元に寄せて、紐を緩め、中を探る。たくさんの物が入り乱れているが、餅は先ほど手に入れたばかりなので分かりやすいところにあり、すぐに見つかる。取り出した物は葉に包まれていて、開ければ簡単に食べることができる。
ランディは母から包みを受け取り、葉を広げ、中を見る。小さな餅が二つ入っている。一つは大福で、もう一つはよもぎ餅だ。よもぎ餅の方は中にあんこが入っていない。どちらもドラゴンの体格からすれば豆粒ほどの大きさで、口に入れれば、すぐに呑み込むことができる。とはいえ、美味しいので、人気がある。不断調理する習慣のない種族にとって、兎のように材料を加工してプレゼントしてくれる存在は有難く、貴重である。その気になれば兎そのものを食べることもできるが、種族間協定によって、捕ることが禁止されている。違反した者は星によって直ちに影の世界へ送られることになっている。罰が厳しいのは、星も兎の作る餅を愉しみにしているからだ。違反した本人は問答無用で処理されるわけだが、地位の高い者にも連絡が行く。星は、「困ることがあったのですよ」と小さな声で始める。彼らは重大なことについて語るとき、落ち着いた調子になる。はじめに本題に含まれる言葉を示唆し、相手の態度を覘う。聞かれないと判断したら何も伝えずに置くこともある。二三度試みても同じだった場合は、話を聞くつもりがなかったとみなされる。そうして、他の種族の関係者へ連絡が行き、あの大臣は話のわからない奴だ、という噂が然るべき者達の間で広まることになる。だからといって、そのつんぼ親父が高い地位から下ろされることはない。誰にでも好不調はある。星もそこらへんのことは分かっている。大臣は仲間から冷やかされて恥をかき、会議で追求され、秘書は頭を引っ叩かれる。たかが兎の作る餅のために大勢の者が動く。政治にも利用される。兎のことを神仏と考える者もいて、集団で生活する種族には大体、兎教たる物がある。彼らは勝手に自らの考えを主張し合う。言葉の定義や習慣による見解の相違によって、自然と論争するようになる。また、聖戦と称して、相手を攻撃し、互いに傷つけ合う。目に余る事態になった時には、ドラゴンや風の精霊が派遣されることもある。
風の精霊は何についても本当の事を知っていて、万物は時と共に移ろう事をよく理解している。どんな成りをしていようが、全ては土に還る様子を日頃から観察しているので、誰の事をも砂粒くらいにしか思っていない。兎と同じく気まぐれで、以前に成した事を省みない。
群れで生活する種族は、一つひとつの個体が弱くできていて、弱いがゆえに多くの事を自分一個では為せず、作業を分けて、大事を成そうとする。一見すると大きな力を持っているように見えて、実際のところは、急所を突くと、きちんと話を聞いてもらえるようになっている。
「困った事になっているのですね」と風の精霊が言えば、大方の問題は片付く。さらには当事者間の関係が改善することもある。宗教家の間では、風の精霊が現れて事態が改まる事を「風化」と呼ぶ者がいて、歴史に残ることさえある。
ランドは包みの中を確認し、美味しそうと思ったものの、広げた葉を元あったように閉じて傍らへ置いた。食べるのは後でよい。母を見ると、包みをくしゃくしゃにしているところである。小さな餅を口に入れた後で、満足気な様子もなく、息子を見ている。息子は食欲なく、母が去るのを待っている。
母からは男の匂いがする。いい事をしてからこちらに来たのだ。
「また男と遊んでたの?」
「なに、あなたに関係ないでしょう。気になるの?」
母よ、息子の私生活についてはあれこれと口出しするのに、自分の事については語ろうとしないのか。
とはいえ、母が自らの不倫について、ペラペラとお喋りすることは今までにもあまりなかったので、他の男との交際について知ることができなくてもよろしい。今日はいつもより臭いがキツかったので、聞かれたがっているのかと察したのだ。相手の気にしていることについて話を振るのがランディのやり方である。その時は何も起こらないけれど、始めの頃に成した会話が基となり、時間が経つにつれて相手が勝手な事を言えなくなる。ただ、これは自分だから出来ることであり、他者が真似すると上手くいかないはず、とランディは思っている。
母の不倫について詳しく知ろうとは思わないが、相手は聞かれたがっているし、自分は問い質した立場なので、止むをえず追求する。
「いつもより臭いがキツいですよ」
「だから?」「他のドラゴンと会うときには、一度身を清めるように心掛けたほうがいいかな、と思いまして」「私にお説教するつもり?」「ほんの、美味しいお餅を持って来て下さったお礼です」「ちょいと、あなた、生意気よ」
母は怒り出す。いつもイライラしていて、ランディからすれば、忙しい毎日を過ごしたがっているように見えてしまう。逢うと、少なからずとばっちりを受けることになるので、できるなら早く話を終わらせたい。けれど、親子なので、友人との交際とは性質が異なり、淡白に済ませようとすればお跡がよろしくない。あとになって、自分が悔いることになる。自己と他者との関係において最重要なのが親との関係、とランディは考えている。兄弟や親類はその次で、その他は親子関係と並列して考えれば、どれも大事とは云えない。周囲とうまく関係を築くためには、まず親を意識する必要がある。将来の事を予測するために歴史を学ぶのと同じように、自分が何者かを知るためにご先祖について考えるのだ。自分が何者か分かれば、やるべきこととやらなくてよいことが分かる。消極的な考え方により、やらなくてよいことに時間を遣わなくなり、余裕が生まれ、やるべき事を成せるようになる。離れ過ぎてはいけないし、近付き過ぎもよくない。親子とはいえ、それぞれに個体差があるので、結ばれている糸の数分最適な距離が存在する。愚かなのは親を軽視し筒、他者と関係を築こうとすることで、たとえ一時は仕事を共にすることが出来ても、そのうちに相手の立入禁止区域に足を踏み入れてしまい、追い出される結果となる。
ランディは親と真面目に向き合うようにしている。この習慣により、ストレスの少ない生活を送ることができていると思っている。
「星に消されてもいいの?」
「誰からそんな事を聞いたわけ、そんなのは迷信よ」
聞く耳なし、とランディは思った。もう星からは相手にされていないはずである。召喚士に呼ばれても現地へ向かわないときがあると星から聞くし、母を話の種にしてからかわれることがこの頃では多くなった気もする。もしかすると、これ以上は手に負えないをいうメッセージかもしれない。
母はその後しばらく息子の住まいに居座り、何を成すこともなく帰った。
いつもの「ダメねー」を聞くことはなかった。ランディは母から貰った包みを開け、餅を食べる。おいしい。
「どうだった?」星が話し掛けてくる。
「相変わらず、忙しい様子かな。仕事はしてるの?」
「いいや、近頃は全然云うことを聞かないよ」
「息子に逢いたいという要求じゃなかったら無視してたね」別の星が話に参加する。
「やりたい放題だよ」「あなたのお喋りのごとく」「云いたいことがあるならきちんと相手に伝えた方がいいと思う」「お酒でも飲んでるの?」「うん、サントリーのトリスウイスキーにアサヒのスーパードライを入れて飲んでる」「一人で?」「悪い?」「飲み方が幼い」「わかってるけど、やめられないんだ」「いいえ、そういうのを、分かっていない、と申すのです」「酒飲んでる者に説教するなんて下司(げす)だよ」「ほら、そんなのは悪いお酒ですから、およしなさい」「あなたみたいな方に構ってほしいから飲んでるんだよ」
ランディは星たちのお喋りを聴き流す。特に面白い内容でもなく、不快な事でもない。いつも通りの掛け合いだ。遠いところで今も輝きながらドラゴンや兎を見守っている。
星にも悩み事はあって、彼らは星になる前の記憶を全て引き継いでいるために、楽しい事ばかりでなく苦しい事や哀しい事も思い出してしまう。またいくらでも痛烈な記憶を振り返ることができる。部屋の中で一人映画を鑑賞するように、興味の赴くままに鮮明かつ正確な映像を再生することができる。星に成りたての頃は、どの個体もこの能力に戸惑う。前世で知り得なかった事実を確かめることができるので、まず素晴らしいと喜ぶ。気になることについてある程度振り返ったなら、次は哀しみについて学びたいと考える。生物でいたときに当然のこととして取り組んでいた事業が他者をどれだけ苦しめていたかを知ることになる。己は随分仕合せな個体だったと断じる。そうして、記憶を引き出す能力の他にも様々な事が出来るので、精神の健康を維持するために、お喋りしたり、ドラゴンを地球へ向かわせたりする。独りぼっちで宇宙に存在しているだけでは退屈なのだ。お酒を飲むこともあって、あまりにもキツい事について振り返った時には、一杯頂かなければやっていられない。星であることに慣れてくると、お酒に頼らなくても、あらゆる記憶にアクセスできるようになる。星にとってお酒は薬であり、これがなければ物事を楽しめない者は精神が不安定と見なされる。ほとんどの星はたまにしか飲まない。
ランディは空を見上げる。数えきれないくらいの星が暗闇の中で輝いている。宇宙は広大で限りがない。自分が目にしている世界は宇宙のごく一部であり、ドラゴンであるかぎり、全てを知ることはできない。あるいは、誰であろうとただ圧倒されるのみである。そうして、無限について考える者は自己を有限と認め、出来る事を成そうとする。身の周りにある物事に過度な期待を抱くことなく、生活するための基盤を整えることに注力し、万物と協調しながら生きてゆく。
意識は遠退く。母は帰った。だから、今日はもうこれきりでよろしい。ドラゴンは眠りに就く。

ドラゴンの住む惑星からは目視できない場所で、兎が働いている。餅が陽に当たるといけないので、屋根が設けられている。壁もある。餅突きに使う木槌や臼が整然と並べられていて、いつでも持ち運べるようになっている。月で使用した道具の全てがあるわけでなく、管理者の判断によって、然るべき場所に分散して保管されている。目にすることができる物はほんの一部だけである。食品についても同様で、月で作った餅は一カ所に集るわけではなく、さまざまな場所へ分けられる。一カ所に何もかもを集めると、些細な出来事によって、何もかもが機能しなくなる可能性が高まり、餅を生産・出荷できなくなる事態に繋がる。現行のシステムについて、仮に疫病が流行したなら、その付近の作業場は一時閉鎖される。
見晴らしの良い場所から監督が仲間に指示を出している。
「それ、うん、よもぎ餅。ちゃんと持っていくんだよ。途中で食べちゃいけないよ」
なかには食いしん坊な者もいて、往路にて我慢できなくなり、食べられてしまうことがある。何度かやると癖になり、常習犯と化す。でも、勘の良い兎によって気付かないうちにマークされ、そのうちにバレてしまう。
「知ってるんだから、あなたが食いしん坊先生だってことは。え? 近頃、食欲が無い? じゃそのうちにリバウンドして、もりもり食べたくなるよ」
包みを背負った兎は屋根の外へ出て行く。監督は見送る。
次に、別の兎が外から入ってくる。背には荷を負っておらず、首には運ぶために使った布を巻いている。
「早かったね、お疲れさま。え? 途中でドラゴンにあげた? どの? ランディのママに、って。あんなもんに餅やらんでいいよ! 仕事してないんだから。相手を見て物事を判断してよ、わかってないなあ」
帰って来た兎は監督の言葉を真に受けることなく、二三言葉を交わして、休憩場へ向かう。兎の世界にある掟によって、声を掛けられたら誰にでも持っている餅を渡してよい事になっている。世間が明るい者は、監督の言うことよりも掟や種族間協定を基にして物事を考え、実行する。監督にしても、部下はルール違反しているわけではないし、一定の仕事している事が明らかなので、メンバーから外すことを想定せずに声を掛けている。また、運びの業務は、一見したところ簡単そうに見えて、不正を犯す者が多く、長続きしない個体がほとんどだ。途中で食欲に負ける者もいれば、道草を食う事を覚えてしまい、中々戻ってこない者もいる。指示した宛先へ辿り着く事ができない者もいる。監督の悩みは尽きない。
別の兎が包みを背負って戻ってくる。
「どうしたの? え? 行ってきた。うん、で、その背中の荷物は何? え? わからない。・・・、もういいや、休んでな。ご苦労さま」監督は穏やかな口調で今戻った兎を労った。いくら何でもひどすぎる者には、あとで別の者が声を掛けることになっている。その兎が意欲的に取り組める業務を一緒になって考えるのだ。何をさせるにしたところで、本人がやりたいという気持ちになってくれなければ、たとえ初めは働いてくれたとして、長続きしない。
監督はすっかり疲れてしまう。みんな思うように働いてくれない。未出荷分は山のように残っている。きちんと処理できなければ、無能扱いされる。
壁に白紙が貼られてある。そして文字が書かれてある。監督が自分で書いた文だ。
そのお餅、途中で食らはば、君乞食。
作ったばかりの頃は上出来と思ったけれど、物事が上手くいっていない今時分には下手くそとしか思えない。幼いときに通った書道教室の記憶が蘇る。おかげできれいな文字を書くことができるようになった。あの頃には何をしても上手いと褒められた。調子に乗って、勧められるままに学問した。今は頑張って働いている。家に帰れば女房もいる。でも、何もかもが空回りしている気がする。誰も自分の言うことを聞いていないと思うときがしばしばある。以前は神童と呼ばれたことさえあった。
監督は沈鬱な心持ちになる。あまりにも忙し過ぎる。
しかし、外から兎が続々と戻ってくるので、なかなか持ち場を離れることができない。交代の時が来るまでは外出してはならない事になっている。といっても、休憩時にやることといえば日陰へ行き、丸くなるくらいだ。読書については、業務の量が増えるにつれて、本を読む時間は少なくなり、今では全く読んでいないと断じてよいくらいだ。けれど、他の兎と会話している最中に、どれだけ読んでいるか訊かれると、「月に二三冊です」と答える。食べ物や趣味について話している時も同様で、少しも関心の無いことについて語る事がよくある。月が何個出ているかについても、自分の目には四つ見えているのに、「今日は、三つですね」と返事することが当たり前になった。幼い時には自分がこのような兎に成るなんて想像していなかった。どんな未来を想像していたかといえば、夢物語である。会社では仲間から救世主のように接待され、家に帰れば家族が温かい食事を用意して待っていてくれて、休みの日には外に出て遊んでばかりいる、今とは全く異なる毎日。何をしても賞賛されると思っていた。また、学問をしていた頃には友と呼べる兎も身近にいて、互いの将来について語り合うこともあった。監督が、「己が出世して、今よりも沢山の餅を生産できるようにして、宇宙から飢餓をなくすんだ」と言ったらば、友は「君なら何にでもなれるし、何をも成せる。きっと宇宙から争いごとがなくなって、あらゆる暴政が崩壊する。その時には、すべての種族が、自分たちが今まで何のために生きてきたかを知ることになる」と返事したものだった。自分は何をかもを成せると信じていた。
監督は外を見る。空は暗い。
月はぼんやりと光っている。いつものように周りの誰に構うことなく静かさを保っている。
月は夢を見ている。

透明な光に包まれたところで、様々な形の月が列を成している。先には暗い闇が見える。
「今度はこんぺい糖を食べたいよ」三日月が云った。
「そんなに甘い物ばかり食べて、虫歯になったら後悔します」満月は返事した。
「大丈夫、月には歯がないから」「歯がなければ何を口にしたっていうのですか」「月には口すらないんだよ。あなたは自分のことについて、何も知らないんだね」
「気にしなくていいですよ、満月さん。あなたはまだ生まれたばかりなのですから」おぼろ月が割って入る。
「砂糖菓子を沢山食べると虫歯になるなんて嘘だよ」三日月。
「誰が嘘を申したのでしょう」おぼろ月。
「お医者」三日月。
「なるほど、では、月にとってお医者とは誰のことを指すのでしょう」おぼろ月。
「人間」「人間は嘘をつく生き物なのですね」「その通り」
満月には何のことだかさっぱり分からない。お医者や人間が何であるかさえ理解できない。だんだん眠くなる。
「次はあなたの番だよ」三日月。
「眠るよりは霧に包まれたいくらいです」おぼろ月。
「どういう意味?」「物事は過去に帰ろうとしている、という事です」「それって、説明になってるの?」「時間は未来に向けてのみ進んでいるのではなく、過去に向けても進んでおります」「お説教ですか?」「光と闇を用いますと、過去に行くことができます」「では、碌でもない思い出を消し去るためにはどうすればよいのでしょうか?」「光と親しくなれば、思い出とうまくお付き合いできます。消すことはできません」
三日月は眠ってしまう。
おぼろ月は眠りに就くことなく進みつづけ、闇の中へ入る。

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